100歳記念すごいぞ!野見山暁治のいま

展覧会のお知らせ
◆「100歳記念すごいぞ!野見山暁治のいま」展

主催:日本経済新聞社/特別協力:野見山暁治財団
監修:秋山雄史氏(東京藝術大学美術館 館長/教授、練馬区立美術館 館長)

会期・会場:
東京展=2021年1月9日(土)→18 日(月) 髙島屋日本橋店本館8階ホール
京都展=2021年3月3日(水)→3月15日 (月) 髙島屋京都店7階グランドホール


ただ描いていた。やたら描きなぐっていた。道路いっぱい、チョークで、
どこまでも拡がる。埃だらけ、凸凹の画面。
そのまま描き続けて、いつの間にか百年たった。ウソじゃない。
しかし正直にそう言いきれるのは、それから今に到るまで、よほど恵まれた
境崖を過ごせたということだろう。

九州の炭鉱地帯で生まれ育った。ぎっしりと労働者の長屋が立ち並び、
その向こうには、おそろしく高い鉄骨が聳えていた。ひしめく長屋の間を縫う
ように、小さいレールが住家のすぐ近くを通りぬけ、その先の丘まで登っていく。
あたり一面、立ちこめる埃だかスモッグというのが、住家も、流れる川にも
隈なく、へばりついて、そこに生きる人も一様に煤けていた。

もともとは山に囲まれた盆地。生い繁った木々も根こそぎ薙ぎ倒して、
その上に容赦なく、運んできた土砂、石ころを、どっと流しこむ。

自然をこんなに蹂躙してよいものか。今に復讐されるだろうと、ぼくは脅えた。

ぼくの絵の原点は、ボタ山だと、人は言う。(続く)


『展覧会カタログ挨拶文より一部抜粋』


野見山暁治

◆「絵描き、道楽、続けて百年、野見山 暁治です

会期・会場:
東京展=2021年1月9日(土)→19 日(火)髙島屋日本橋店本館6階美術画廊(AB)
京都展=2021年3月3日(水)→9日(火) – 髙島屋京都店6階美術画廊(西)
横浜展=2021年3月24日(水)→30日(火) 髙島屋横浜店 7階美術画廊(A)

2014年に、百貨店の美術画廊では初となる個展
「はじめまして 百貨店 野 見山暁治です。」を開催して以来、
7年ぶりの待望の個展。同時開催となる文化催事
「100歳記念すごいぞ!野見山暁治のいま」と連動し、百寿を迎えてなお
いきいきとした絵を生み出す野見山暁治先生の画業を、
新作小品と2000年以降に制作された近作、40余点で展観いたします

作家あいさつ文:

絵描き、道楽、続けて百年もしも無人島で、生涯を送ることになれば、
今のまま絵を描き続けるだろうか。
絵は日々の生き甲斐、そう公言して憚らないが、この世の誰一人、
ぼくの絵を見てくれなければ、果してこの先、描き続けるか。
ぼくの絵を歓ぶ人が、この世にいなくても、描く。
本当はどうだか分からないが、そんなことには頓着なく、
絵描きは描き続けて、ひとり歓んでいるわけだ。
世上の評判なんか気にしない、と絵描きはうそぶく。
それで自分だけの世界に籠って悠々と 描いているかというと、実はその逆。
一般の声を、常に聞き耳たてて、あくせくしている。なにかおかしい。
この臆病さはどうしてだろう。
一般の絵を眺めるように、自分の絵について客観的な眼は開きようがない。
自分の産んだ子には盲目だ。取りあえず自分を騙し、栄光の幻想を持ち続けている。
話は違うが、一般に絵は、人の感性に訴えにくいものなのか。絵は分かりません、
とか分かるとか、こういう白々しい答え方が返ってくるのは、どうしてだろう。
他の芸術の分野では、好き、あるいは興味がない、といった殆んどが
生理的な嗜好が、はね返ってくるのに、どうして絵は、好き嫌いで
訴えてこないのだろう。
誰しも幼いころ、やたら落書きした記憶は持っているはずだ。これは感性の問題。
探求していた訳じゃない。楽しかった、面白かった。年と共にこの歓びが
遠ざかってゆくのは口惜しい。
ただ美術作品に限り、商品として売り出される。売れなければ絵描きの
生活は成り立たんし、絵の具を買うこともままならん。しかし、おかしいんだな。
絵描きは制作しているとき、売れるかな、といった思惑はない。
ただ自分の浸っている世界を吐露しようとして懸命になっている。
それは職業と言えるのか。 どうも歯切れがわるい。道楽と一口に言うが、
道楽は時に本職をそっちのけにするくらい、のめり込むものだ。
では、道楽だと突き放してしまっていいのか。いや言い切れん。
個展をやるたび、ぼくはきまりわるく会場に立っている。

野見山暁治

2020-11-15 | Posted in お知らせ, 展覧会Comments Closed 

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